私たちはどうやら
様々なカテゴライズを
好みます。
私はそこまで海外の方との
交流はありませんが
特に日本人は
分類分け、カテゴライズするのが
好きなようです。
「あなたは〇〇のタイプだよね」
「私は〇〇系女子だから」
という感じで
〇〇のタイプ、〇〇系
というのが非常に多いです。
私は心理カウンセラーなので、
Twitterの中の、精神的に苦しんでいる方の投稿を
見るのですが
8年前と比べて
遥かに、精神病名を
オープンにしている方が
増えたことと
この分類分けの
精神病名が非常に多いです。
例えば、最近大流行している
HSPですが
当初は単なるHSPという
固有名詞のみでした
ところが、現在は
4種類のHSPがあるらしく、、
HSS型HSE
HSS型HSP・・・
もう既にごちゃごちゃで
わかりませんが
このように、
私たちは必死に
分類分けをしています。
おそらく昭和初期の日本人は
そのような分類分け、カテゴライズ
などにこだわっていなかったように
思えます。
この現代になってからだと
私は個人的に思います。
分類分けしたがる心理、カテゴライズする心理
この分類分けを必死にしたがる心理は
いったいどのような心理が動いているのか?
インターネットの記事では
〇安心出来るから
〇マウントポジション取れるから
〇わかった感覚になれるから
のような記事が大半でした。
しかし、テープ式心理学ではそのような
曖昧な感覚ではなく
ネガティブな感情が
ある事で、
必死に分類分け、カテゴライズ
しようとしていると認識します。
確かに、分類分けする事で、
私たちの感覚は
インターネットの記事の通り
安心できたり、わかった気になれたり
マウントポジションを取ることに
なるかと思いますが
特に、この安心できる
という部分が非常に重要です。
この分類分けしたがる方は
自分自身の事も
当然ながら、分類分けして生きています。
「私は〇〇系女子で、○○なタイプ」
「その仕事は〇〇タイプの人に依頼した方がいい」
「私が○○型HSPなので、○○は苦手なの」
「私はHSP系ではなくADHD系だから、〇〇な性格なの」
という感じです。
さて、、これは正解なのでしょうか?
本当に、人類が地球上に誕生して
そのような分類分けが出来るものなのでしょうか?
日本人とアフリカ人と、アメリカ人の3名が
いたとしても、その分類分けは正解なのでしょうか?
その方が、60歳として
子供の頃の特徴
学生時代の特徴
大人になってからの特徴
その全ては、一環として
「○○系の○○タイプ」で
本当に合っているのでしょうか?
これを聞いているあなたは
ここまできて、良くおわかりになったかと
思います。
必死に、分類分け、カテゴライズしている
その中身は、何の根拠もなく
ただ、最近になって、
TV,雑誌が、流行を作るために
どんどん作られる造語に
合わせているだけに過ぎず
本当は、自分自身は
○○系や○○なタイプの人間などの
分類分けは、曖昧な思い込みであったという事を。
分類分け、カテゴライズする人の心理は恐怖
テープ式心理学の観点から
答えを導きます。
自分自身の事を
他人の事を
分類分け、カテゴライズするのは
安心したいから
まさにその通りです。
では、逆説的観点から観ると
恐怖がある
という事です。
つまり、こわいのです。
自分自身が何者なのか?
をわかっていないと
こわいのです。
目の前にいる人が
何者なのか?を
わかっていないと
こわいのです。
それが、合っている
合っていないは
どちらでも良く、
真っ先に分類分け、カテゴライズする
事で、
心の中にある
恐怖を、こわいという
ネガティブな感情を
消す事が出来ると
思い込みしているのです。
だから、必死に
分類分け、カテゴライズを
したがるという事です。
その分類分け、カテゴライズは
つい最近になって
TVやメディアが作ったもので
あるにも関わらずです。
こわいから
こわくて仕方ないから
必死に
○○系、○○なタイプ
などの
【断定した、はっきりとした、確定した答え】
を必要としているという事です。
この分類分けしたがる人が
何か悪いという事は
もちろん、ありません。
何も悪くはありません。
そのため、この記事では
どうしたらいいのか?
という文章はありませんが
1つだけ
テープ式心理学の基礎を
お伝えするとすれば
「わたしは何者になっても良いし
何者にもならなくてもいい。」
これが、テープ式心理学の基本です。
ありのままのわたしで十分であり
それが、曖昧であろうと、
何であろうと、この瞬間に生きているだけで
十分に価値があり、そこに
人生での成績や、肩書など
一切無関係で、価値がある。
つまり、
自分自身の事を
何もわかっていなくても
そのような事は無関係で
あなたには価値がある
という事であり
一切怖がる必要がない
という事です。
例え、記憶喪失となり
全ての記憶がなくなったとしても
それが今この瞬間に起きている
ありのままの全てであるならば
わたしは、どのような人生を送っていようと
絶対的な価値は変わらない
という事です。
なので、必死に
自分自身の事を、他人の事を
曖昧な、正解でもなく
あてにもならない
分類分け、カテゴライズする必要は
無いという事です。
もちろん、それが
悪い事ではない
という事だけ付け加えておきます。
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